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2024/10/31

源氏物語の時代の帝をレクティファイ(出生時刻の推定) 弐の巻

こんにちは!

北海道(函館)支部&オンラインで、
心理占星術コンサルテーションをしている夕雅(ゆうが)です。

壱の巻では一条天皇の激動の時期を占星術の視点から見ていきましたが、
弐の巻では崩御される一年前について、詳しく見ていきたいと思います。

一条天皇の望みと苦悩

立太子への一縷の望み


1010年 2月14日  藤原伊周の死

1010年 8月29日  敦康親王 元服

ソーラーアーク
太陽=木星   1010年1月から1010年12月くらいまで有効
土星7=太陽2  1010年6月から1011年5月くらいまで有効

トランジット
海王星が出生図のASと180度  1010年2月 7月 12月
土星が出生図のМCと180度   1010年5月 6月
天王星が出生図のASと90度   1010年9月 / 1011年3月
土星が出生図のASと90度    1000年11月 / 1011年4月 8月

時期表示が示すこと

第一皇子敦康親王の伯父である、藤原伊周が2月に病で亡くなります。
996年の長徳の変や1009年の藤原道長、彰子中宮などへの呪詛の件で度々天皇を悩ませてきた伊周でしたが、敦康親王の後見人であるために天皇もそれなりの配慮をしていました。

しかし、伊周が亡くなったことで一条天皇の焦りが出てきたのでしょうか。

それから何度か、敦康親王の立太子に向けて側近に相談しますが、その都度断念するよう言われ続けます ( 『源氏物語の時代 一条天皇と后たちの物語』より )。

太陽=木星のソーラーアークは天皇の希望やビジョン土星=太陽野心の実現を示すと思われます。
ちょうどこの2つのソーラーアークが重なる8月に敦康親王の元服があるので、
「これを機に立太子に」という強い思いも想像できます。

しかし、トランジットの海王星が180度でアセンダントに何度か接触するなか、抱いていた希望理想失望儚い夢へと変化し、挫折や苦悩を生み出していった可能性があります(海王星は、理想や夢、挫折、消失に関係します)。

土星=太陽の野心が砕かれると、それは精神的な抑圧(土星)として天皇自身(太陽)に向かい始めたかもしれません。
公家たち(土星)からの了承を得られないことで、自己価値(太陽が支配する2ハウス)が損なわれていった可能性もあります。

土星や天王星がトランジットでASに最終接触する頃(1011年春)にはもう、天皇自身の気力も萎えてしまったのでしょうか。
1011年の6月末に発病し7月25日に崩御されます。

側近もまさか亡くなるまでの病とは発病当初、考えていなかったようです ( 『源氏物語の時代 一条天皇と后たちの物語』より )。

しかし、時期表示を見ると、8月に土星とASの接触(90度)があります。
土星とASの時期表示は健康問題、死に関係することもあるので、占星術的には崩御される時期であってもおかしくないと考えられます。
7月25日を調べるとTr土星はASと約2度のオーブで90度でした。

その他の時期表示のまとめ

実は、これらの出来事以外にも、天体が示す時期表示が重要な出来事を表している事例がいくつかあります。

花山天皇の皇嗣となった984年

トランジット(Tr)天王星がМCと90度  Tr木星がМCと180度  Tr木星がASと90度。

自分の立場の劇的な変化とチャンスの時期。

天皇即位 986年

ソーラーアーク(SA)土星7(3)=МC  SA水星3.12(12)=AS

責任ある立場、大きな組織における自己表現。

元服と定子の入内 990年

SA  AS=太陽  SA  МC=水星  SA  太陽=金星
Tr土星が太陽・月と180度  Tr天王星が太陽・月と180度

SA  太陽=金星は定子との出会いや喜びを示しているのでは。
その他の時期表示からは、婚姻による責任と公に見せる個性化の表現。

敦成親王(後一条天皇)の誕生 1008年

SA  МC=火星10
Tr 木星がМCと180度

時の権力者藤原道長の希望をかなえ、活気に満ち溢れる様子。
木星がちょうどМCと180度になった時は、敦成親王誕生の次の日(10月13日)。
二つの時期表示どちらも勢いがある。

 

出生図の分析

天皇のお人柄

前回、壱の巻で、文献からうかがえる天皇の性格をピックアップしましたが、改めて、ご紹介します。

生真面目で自分を抑えるタイプ
古代の聖帝に憧れ、翻って自分を戒める
一途さで学問と政治に取り組む
文学に政治を善くする力を求めた
私情にとらわれず政治判断を下す
いたずら好きの一面も
笛の名手
『源氏物語の時代 一条天皇と后たちの物語 』より

では、次に出生図から感じられる天皇のお人柄について分析します。

性格の分析結果

控えめな性格でやわらかい印象  共感力やサポート力に優れている  間接的な表現方法を好む
(蟹のアセンダント  蟹の太陽と月  12Hの蟹の水星)

情緒的な安定を強く求めるタイプで何かを守ろうとするエネルギーが強い
(蟹の太陽・月に牡牛の火星が90度)

指導者的な立場にあることが必要で、現実的に物事を達成しようとする
(オリエンタルの月  土星と木星、太陽・月の小三角  木星/土星=太陽/月)

芸術的才能があり学問も追求したいタイプ 人に教えられるまでのレベルでは?
(海王星9と金星が90度  金星とМCが120度  冥王星5 、海王星9、水星の小三角)

多くの人とつながり先導する力がある  言葉に力がある  ついつい理想を追求したくなる
(月E-ノード 土星-AS 火星-水星 海王星-木星)

情にもろいが慎重で実務的
(水サイン4天体、土サイン4天体、火サイン2天体、風サイン天体が0)

天体が示す、文献との共通点

文献にあった、「生真面目で自分を抑える、自分を戒める」というところは土星が太陽・月に60度で触れているところが効いていると思います。自制心が自然と働くのでしょう。
「古代の聖帝に憧れをもち、文学に政治を善くする力を求めた」のは海王星-木星の理想主義の表れでしょうか。
「一途に学問、政治に取り組む」のは冥王星と水星が60度の探究心や土星と木星(高等教育)の120度にあると思います。
一条天皇の時代は清少納言や紫式部などによる文学作品が生まれ、文化的に豊かな時代でした。
天皇自身も「笛の名手」であり、文化を理解する力があるからこそ、才能ある人物を世に送り出す力があるのだと思います。この辺りは、海王星と金星の90度、金星とМCの120度による芸術的才能が関係しているでしょう。

私情にとらわれず政治判断を下す、というあたりは土のサインが多いというところにあるのでしょうか。
長徳の変では自らの判断で藤原伊周らを左遷したようです。
唯一、定子皇后に関しては、どうしても守りたかった天皇の心情が見えてきます。このあたりは火星、太陽、月の接触が関係しているようです。

適職判定

МC(仕事)は牡羊。火星がカギ。
火星は10在。太陽と月が蟹のサインで1ハウス在。月はオリエンタル。
太陽と金星がМCと120度で接触。

自分のスタイルで采配していきたいエネルギーが強い。多くの人の前で自分を表現できる立場が必要。
共感性が強く、相手を理解しようとする指導者。管理能力を活かせる仕事が必要。
芸術性や哲学、思想などへの興味が強く、それを表現できる場も必要。

と分析しました。現実ではどうだったでしょうか。

藤原道長が次第に権力を強化していく中で、自分らしい采配で政をすることができたのでしょうか。
晩年は辛そうな時期表示がありましたので、天皇の苦悩や葛藤をつい想像してしまいます。

以上、占星術的に考えられる一条天皇の出生時刻について2回に分けてお伝えしました。

 

参考書籍

『源氏物語の時代 一条天皇と后たちの物語』 山本淳子 著 朝日新聞社
『平安時代 天皇列伝  桓武天皇から安徳天皇まで』 樋口健太郎 栗山圭子 編 戎光祥出版

 

夕雅のレクティフィケーション占星術

*出生時刻の鑑定 100分 15,000円~
(出生時刻がどこまでわかっているかにより料金が変わります)

*占星術の知識がある方に向けた個人レッスン
2回(レクティファイ:80分、出生図の分析:60分) 24,000円
3回(時期表示のレッスン:80分、レクティファイ:80分、出生図の分析:60分) 32,000円

 

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