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2024/10/29

源氏物語の時代の帝をレクティファイ(出生時刻の推定) 壱の巻

こんにちは!

北海道(函館)支部&オンラインで、
心理占星術コンサルテーションをしている夕雅(ゆうが)です。

大河ドラマ「光る君へ」の一条天皇の優美なお姿に、すっかり魅了された私。
いつも楽しく観ておりましたが、先日、とうとうご崩御されてしまいました…(涙)。

では、実際の一条天皇はどんな方だったのだろうと、とても興味が湧き、
占星術的に分析したくなりまして、今回、レクティファイしてみました。

レクティファイの準備

求む!確実な情報

まずは、出生時刻に関する情報

皇室の方は出生に関する記録が残っている場合が多く、一条天皇も

天元3年6月1日 (980年7月15日) の明け方

という記録があるそうです(『平安時代 天皇列伝』より)。
夏の時期なので日の出時刻も早く、推定範囲は午前4時少し前くらいから日の出時刻の4時50分前までとなりそうです。

次に、重要な出来事をピックアップ

984年 8月27日 花山天皇の皇嗣となる
986年 8月1日 天皇即位(寛和の変)
990年 2月 元服 藤原定子 入内 /  10月 定子 皇后(中宮)に冊立
996年 2月7日 長徳の変 / 5月1日 中宮定子 落飾 (出家)
999年 9月9日 長保元年令発布 / 12月17日 第一皇子 敦康親王 誕生
1000年 4月2日 藤原彰子 中宮に冊立  一帝二后となる
1001年 1月13日 内親王出産後 皇后定子 崩御
1002年 2月7日 一条天皇の母 東三条院 (詮子) 崩御
1008年 10月12日 第二皇子 敦成親王(後一条天皇) 誕生
1009年 12月14日 第三皇子 敦良親王(後朱雀天皇) 誕生
1011年 6月27日 発病 / 7月16日 譲位し太政天皇となる 7月25日 崩御

人物像について

アセンダント(自己に関係)や月のサインを決める際に必要な情報です。
今回は一条天皇に関する書籍から、性格についての記述をあげてみます。

生真面目で自分を抑えるタイプ
古代の聖帝に憧れ、翻って自分を戒める
一途さで学問と政治に取り組む
文学に政治を善くする力を求めた
私情にとらわれず政治判断を下す
いたずら好きの一面も
笛の名手
『源氏物語の時代 一条天皇と后たちの物語 』より

レクティファイの流れ

アセンダント・月のサインの推定

出生時刻は記録によると明け方とのことでした。
午前3時から日の出までのホロスコーブのアセンダントは蟹のサインが支配するようなので、一条天皇のアセンダントは蟹で決まりです。

また、月のサインも出生時刻の推定範囲が狭められているので、この時間帯のサインである蟹に決まりました。

重要な出来事から出生時刻の推定

アセンダントと月のサインが決まったら、次は重要な出来事の中でも特に注目すべき時期を選んで探っていきます。
今回は、青文字の999年から1002年の時期を選びました。

そして、占星術的に見た出生時刻は、午前4時20分ではないかと推定しました。

念のため、午前3時後半の可能性も調べてみましたが、時期表示がしっくりくるものはなく、4時20分前後を探っても、やはり、この時刻が最適であると感じました。

今度は、天体が示す時期表示を基に、出来事について詳しく探っていきたいと思います。

レクティファイした時刻の検証

第一皇子誕生の喜びと一帝二后の革新性


999年 9月9日 長保元年令発布 / 12月17日 第一皇子 敦康親王 誕生
1000年 4月2日 藤原彰子 中宮に冊立  一帝二后となる


ソーラーアーク

AS(アセンダント)=金星4(1)  999年2月から1000年1月くらいまで有効
天王星8=МC  999年7月から1000年6月くらいまで有効

トランジット
木星が出生図のМCと90度  1000年1月
木星が出生図のASと180度  1000年11月

時期表示が示すこと

まずは、AS=金星のソーラーアークから。

999年9月には藤原道長と共に、「長保元年令」を制定。政治的にも充実しており、12月には寵愛する定子皇后が待望の第一皇子を出産。
また、藤原道長の娘、彰子も12月に入内しています。
家族に関する4ハウスを支配する金星は1ハウス(自己)にあり、アセンダントも自己を表すことから、一条天皇自身の喜びや充足をあらわしているかのようなソーラーアークです。
成功、拡大、幸運を示す木星のトランジットがこの時期あることもうなずけます。

一方、天王星のソーラーアークは、一帝二后を示すと思われ、前代未聞のこの出来事はまさに天王星的なもの(前衛的や革新性を象徴)でした。
天王星が8ハウス(変容や家族関係を示す)支配ということは、天皇と后の関係性(夫婦関係)がここから大きく変わったことを示すとも考えられます。

試練の2年


1001年 1月13日 第二内親王出産後 皇后定子 崩御

ソーラーアーク
冥王星=МC  1000年5月から1001年4月くらいまで有効

トランジット
木星が出生図の月と180度  1000年12月
木星が出生図の太陽と180度  1001年1月
土星が出生図の冥王星と90度  1001年6月

セカンダリープログレス
月が出生図の月と90度  1001年1月

時期表示が示すこと

内親王誕生の喜びもつかの間、皇后定子は崩御します。
喜びから一転、最愛の后が亡くなるという最悪の出来事は変容の星である冥王星が象徴しているようです。
「命の誕生」と「死」に関わる出来事も冥王星(死と再生)が表しているのでしょう。
トランジットの木星が12月から1月にかけて月と太陽に180度で接触しますが、ここには、我が子の誕生を待ちわびる一条天皇の心情が表れているだけに、皇后が亡くなった後の天皇の心境は如何ばかりか…と思われます。

セカンダリープログレスの月が出生図の月と90度となるのは、皇后が亡くなった後に起こります。

この世では会えなくても、夢でもいいから会いたい

そんな心情がここに表れているようにも思います。
トランジット土星と冥王星の接触は、「損失」を表し、まさに、皇后を亡くした天皇の失意や消沈を表しているようです。

 

1002年 2月7日 一条天皇の母 東三条院 (詮子) 崩御

ソーラーアーク
土星7=AS  1001年5月から1002年4月くらいまで有効

トランジット

天王星が出生図の冥王星と180度  1001年6月 1002年2月
土星が出生図のМCと90度  1002年8月 12月

時期表示が示すこと

土星がアセンダント軸に関わる時期表示は健康問題が重要となる時期です。
時には死と向き合うこともあるでしょう。

また、数え年7歳で天皇になったことから、母親が政治(土星)に関わる機会が多く、先帝の父とは縁が薄かったこともあり、母親が父親(土星)代わりだったのでしょう。
実際、政治力もあったことから、公(7ハウス)を統べる土星は東三条院(母)を象徴しているようです。

前年に皇后を亡くし、立ち直れないまま母親も亡くしたことで、精神的抑圧(土星)はかなり強かったのではないか、とソーラーアーク土星の時期表示に感じます。

別の見方としては、自分自身の政治力・指導力が鍛えられる時期、もありそうです。
トランジットでも土星がМC(社会的立場、仕事)と90度で接触するので、その意味が強調されているとも考えられます。

実は、トランジット天王星が冥王星と180度で触れていたころ、一条天皇は亡くなった皇后の実の妹に最愛の人を重ねてみていました。
彼女は懐妊しますが、出産前に亡くなっています(1002年7月15日)。その時期はトランジット土星がМCに接触しようとしていた頃です。
天王星と冥王星の接触は波乱を意味することもあり、この関係が発覚したのち、藤原道長は定子の妹が養育していた第一皇子を彰子に引き取らせ(1001年8月末)、天皇と彼女の関係を断ち切ろうとしました。

この出来事も時期表示が表していそうです。

 

実は、一条天皇が崩御される前の年も重要な天体の動きがありました。

これについては、次回に。
天皇の出生図についても分析したいと思います。

 

 

参考書籍

『源氏物語の時代 一条天皇と后たちの物語』 山本淳子 朝日新聞社
『平安時代 天皇列伝  桓武天皇から安徳天皇まで』 樋口健太郎 栗山圭子 編 戎光祥出版

 

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